育児の問題点とその対応その2
日本保育園保健協議会
副会長松本壽通
子どもの心と母子の結びつき
筆者はこの17年間、福岡市における学童精神保健協議会に出席し、多くの事例に接して分かったことの一つは乳幼児における家族のかかわりでした。
家族が比較的よくその機能を果たしている場合は、子どもが登校拒否など、心の問題に陥っても、通常、時間はかかるが、教師や関係機関の適切な対応によって登校を始める予後良好な場合が少なくありません。しかし離婚、父親の犯罪、アルコール中毒などによる家庭崩壊型といえるものの多くは、そのままでは将来、非社会性の成人になる恐れがあって、早く支援の手を、と考えても有効な手段が見つからず、心を痛める事例があります。一方、家庭崩壊型で、今までの経験からは予後不良と考えられたものでも、乳幼児期に母子分離などの経験もなく、両親の温かい愛情のもとに育った子では、幸いにも好ましい経過をとる事例もあることが分かりました。
このように乳幼児期に母子の結びつき、愛着が充分になされていると考えられる場合は、たとえ学童期以後に家庭崩壊に陥っても子どもは重度の登校拒否にならず、適切な指導によって改善されるのではないかという印象をもっています。つまり、乳幼児における母子の温かい結びつきは将来、心豊かな情緒的発達の上に大きな影響を残していることが分かります。
逆に乳幼児期に経験された両親の不和、親子分離、さらに虐待などによる子どもの受ける心の傷は、将来、決定的なものではないにせよ、予後不良の登校拒否、あるいは非行につながる恐れがあります。従って、安全基地としての機能を失った家族の子どもに対して、保育士、保健師や小児科医をはじめ関係者は子どもが心の問題を起こす前に、乳幼児期から心の健康を保つ上に必要な、適切な育児相談を行うことが要求されます。例えば、保育園や乳幼児健診の現場において、有児機能に問題がある家庭の子に接した時や、母親に育児不安が感じられる時などの場合、子どもの将来の心の問題を予防するために、現在子どもを養育している者(母親がいなければ祖母、保育園の保育士など)による、しっかり抱きしめてあげるような温かい愛着行動(アッタチメント)やmothering(母親らしさ)を充分に行うことを強調する必要があります。そして、現在このような環境にあっても、乳児期に充分な愛情を与えられた子は心も立派に育つことなどを話すことが必要です。
3歳児神話とは
近年、「乳幼児は母親の手で」、「3歳までは母親の手で」という考え方の是非をめぐって、保育の分野における論争があります。今やこのような考えは「3歳児神話」として、現代の育児観から時代遅れのものとして考えられる傾向があります。その反対理論の多くは、子育ては母親そのものだけでなく、母性的養育環境こそ大切であると述べられることが多いが、この理論は一面では真理です。母親の精神異常や育児不安、とくに虐待を行う母親などによる養育では、とても母親は愛着の対象とはなり得ず、従って基本的信頼感が成立し得ないのは当然です。
しかし、先に述べたように、実は大部分の母親の育児感情は正常であり、たとえ養育環境に少々の問題があっても、わが子を順調に育てていることがうかがわれました。現代の母親の養育力が低下してるという理由から、また働く母親のために乳児期から保育所の育児を積極的にすすめる有識者も少なくありませんが、乳児期は母乳育児をはじめ、本来スキンシップなどの愛着行動を通じて、母親の肌のぬくもりを感じとる時期です。これが将来の子どもの心の安定につながることを考えれば、乳児期の集団保育には充分慎重であるべきと考えられます。
かつて平成10年度の厚生白書に「3歳児神話には、少なくとも合理的根拠は認められない」と述べられたことがあります。「3歳(満2歳)までは母親の手で」という考えに根拠がないと述べた理由を推察すると、たしかに今まで、それを証明する学術的なevidenceにもとづいた論文は認められません。そのためには前方視的(prospective)なコホート研究によってのみ可能だからです。しかし、そのためには莫大な費用と人の力、時間が必要です。一方。後方視的(retrospective)には、母乳保育をはじめ、乳児期に母親による保育の大切さに関して、数多くの論文があるのは事実です。一方、近年、J.Rハリスによる著書“The nurture assumption”はこの問題に真っ向から反論するものとして注目されました。すなわち誕生から数年間で成人後の性格が形成されるという明確な証拠を求めても、そのようなものは存在しない。幼少時の親子関係が決定的かつ長期的な影響を及ぼすという思いこみを考え直す必要がある、つまり、子どもがどう育つかは親の育て方を反映したものではない、という考えです。これに対し米国で賛否両論の大きな反響がありました。しかしハリス女史の結論は限られたデータを元にしており、幼少期に結ばれる親子間の絆は性格形成に欠かせないものという考えは否定できないものと考えます。いずれにせよ、学術的な根拠に基づいた結論を導くためには、長期にわたる前方視的方法による検討が必要と考えられますが、例えば乳幼児期に親から虐待をうけた子の心の傷は適切な対応がされない限り永続的に残る事実からみても、この年代の親子間の絆の大切さは容易に理解されうることです。乳児保育と心の発達
-前方視的コーniホート研究から-
1998年、米国国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)による乳幼児の保育に関する大規模な前方視的研究の成果が、フリードマン博士らによって発表されました。その要点は、保育の質や保育時間の長短によって母子関係、子どもの問題行動、乳幼児との愛着の不安定さなどについて影響は僅かながら認められますが、このような保育の要素よりも、むしろ家族の特徴と母子関係の質の方が子どもの発達に強い関連を示したということでした。2003年、福岡における第9回日本保育園保健学会におけるフリードマン博士による特別講演で、同研究のその後の報告が行われましたが、やはり同様な結果が確認されました。これらの発表は、わが国と米国の保育システムに差はあってもevidence basedであるだけに、わが国における乳児保育のあり方を考える上に大きな影響を与えました。このNICHDの研究の成果として母子のふれあい(interaction)と、母親が子どもの心をよみとる感性(sensitivity) の大切さが立証されたことは注目に値します。従って乳児保育に際し、保育関係者は保育の質をあげるためには、基本的にマザリング的ケアが求められている、といえます。すなわち保育園児の心の発達のためには、園児と保育士との間に目と目をみつめ合って、しっかり抱きしめることをはじめとする暖かい相互関係が必要で、それが児には保育者への安定した愛着を形成し、そして子どもの豊かな心の発達を促します。おむつがえ、給食、与薬、事故予防、その他多忙で、時にはきつい労働の保育現場において、保育士が子どもの心をよみとる感性を必要とされるマザリング的行動を求められることは、実際に困難を伴う可能性もあるが、子ども達の将来の豊かな心の発達のためには是非ともお願いしたいところです。
一方、先に述べたように福岡市医師会方式による乳幼児健診が1987年に発足して、現在九州大学医学部医療情報部(部長:野瀬善明教授)において集計、解析され、前方視的研究によって、今まで英文論文を含め多くの貴重な報告がなされています。この研究の一つとして、福岡市医師会が発表した内容は7ヵ月健診時に昼間の保育者が母親が主か、保育園によるものか、この二者について3歳児健診時までに追求し得た462例について前方視的に検討した結果、運動及び知的発達、病気のかかり易さ、心の問題など30項目などのほぼすべての点で両者に有意差が認められませんでした。しかし、2003年に3歳児健診の時点において4580例について、昼間の保育者について母親、保育園別に(横断的に)解析した結果では、また、2005年に4歳児16,941例について、昼間の保育者が保育園、幼稚園別に解析した結果でも同様に、子どもの行動、病気のかかり易さ、事故などの面で、保育園の方に少なからず否定的な注目すべき結果が有意に認められていますが、この問題について今後も慎重に追求して検討していく必要があります。
私共による前方視的研究の結果から、乳児保育による影響は少なくとも3歳児までは認められないと考えられます。むしろNICHDが子どもの発達について強い関連性をもつと指摘している“母子関係の質”について注目したいと思います。乳児期には母乳保育を中心とする母子の持続的で頻繁な身体接触(スキンシップ)を通じて、母親の肌のぬくもりを感じとる時期で、それが子どもの心を安定させます。現在における発達心理学の大きな流れは、子どもの豊かな心の発達のために、この月齢における母子の愛着の必要性について、ほとんど異論をはさむ余地はないと考えられています。虐待を含めて、高度の育児不安など、児にとって母親が安全基地となり得ない場合では、母親以外の保育者による暖かい支援こそ必要とされますが、通常、乳幼児期においては母子の愛着行動(アッタチメント)などによる基本的信頼(basic trust)の獲得は将来、わが国を担う子どもの豊かな心の発達のために欠くべからざるものと考えられています。母性的マインドの復活こそ現代の子育てに求められています。(次回は育児力を高めるための対策について考えます。


保育園案内
共励の保育
保育園の食事
保育研究室
保育小論集
子育て広場
育児問題とその対応 その3
HOME
サイトマップ
お問い合わせ
リンク