育児の問題点とその対応 その1
日本保育園保健協議会
副会長松本壽通
21世紀の母子保健のビジョンを示すために、2002年、厚生労働省でまとめた「健やか親子21」の報告書の中で、これから行うべき4本の柱の1つとして「子どもの心の安らかな発達の促進と育児不安の軽減」をあげて、その問題意識や取り組みの方向性、具体的な取り組みなどについて発表されて、3年間を経過しました。
この中で親と子の心の健康に取り組むことは、思春期を含む子どもの心の問題の予防にもつながるものとして、特に親の育児不安への対応の必要性が強調されています。すなわち、「今後、妊娠、出産、育児に関する母親の不安を軽減し、のびのびと安心して育児を楽しみ、子どもに愛情を注げるよう、また子どもの豊かな心の成長を育むための取り組みを全国的に総合的に講じることは、21世紀の母子保健上極めた重要な対策であるといえる」と述べられていることは、まことに注目に値します。
乳幼児期に育児不安の母親によって育てられることは、子どもの身体、心の健全な発育・発達に影響があることが指摘されています。保育士、小児科医師をはじめ、小児保健関係者は、次代を担う子ども達が心身共に健やかに生まれ育つためにも、母親の育児不安に対し多くの関心をもって、育児支援に取り組むことが求められています。
この度、3回にわたって育児不安及び乳児保育(0歳児保育)に主点をおいて、現代の育児の問題点とその対応について、小児科医の立場から若干の考察を行いたいと思います。
育児不安の頻度とその実態
筆者の小児科医院では、主に初めて育児を経験する若い母親を対象にすでに10年程前より毎月原則として1回、育児教室を開いて育児の基本的な心構えや、育児のコツなどを話しています。毎回、話の前に出席した母親より順に育児の感想を率直に語って戴きますが、中には、子どもの泣くのにイライラして口をふさぐ、頸をしめるなど虐待について、自分の経験を涙ながらに話した母親も数人いて実際に育児不安の母親が少なくないのに驚くことがあります。その実態を知るために、かつて、育児教室を受講した母親にアンケートを送って、育児不安について、無記名で調査しましたが、その結果は予想を上回るものでした。有効回答66名(回答率51%)のうち、現在、またはかつて強く育児不安を感じたもの16%、時に感じることがある36%、そして、ほとんど感じないもの44%という結果で、過半数は多少とも育児不安を経験していることがわかりました。
育児不安の内容について、典型的と思われる例をいくつか原文のままに紹介します。「毎日3回の食事がうまく作れない。食べてくれない、体が小さいのでむりやり食べさせようとすると素直に食べてくれない。言うことをきかない、ビシッと叩いて泣いて・・・の悪循環」と述べて、叱ることが日常化し、わが子を愛せなくて自己嫌悪に陥っている母親、さらに「まわりに相談する人がいなくて落ち込むことが多かった。育児書を穴があく程みたが、自分の子にあてはまらず悩んでいた。とにかくよく泣く子で、どこか病気なのかと心配でたまらなかった。」など育児不安で一杯の母親の実態が率直に述べられていました。
また「お子さんに何らかの暴力をふるわれたことがありますか」という質問に対して、「ある」と答えたもの43%、その内容は、大半は手やおしりを叩くことでしたが、頬や頭を平手打ちなど、かなりシリアスな回答もみられました。暴力を振るった理由として「子どものしつけのために」行ったとするもの59%、一方「自分の感情を抑えきれずに」行ったもの32%で、暴力を振るったという母親の1/3はついカッとなって叩いた、という実態がうかがわれる結果でした。
一方、福岡市保健福祉局では2003年4月から12ヵ月間、乳幼児健診を受けた4ヵ月児
12,063名に調査したが、母親に対する「育児は楽しいか」の設問に「はい」と答えた者83%、「いいえ」0.5%、「どちらでもない」17%という結果でした。1歳6ヵ月、3歳となるにしたがって、健診時における調査で「楽しい」と答えた比率は8%ほど減少傾向はみられますが、一般集団では「育児が楽しい」と考えている母親は決して少なくないことが分かります。
また、筆者らが世話人として運営されている「子育て問題を考える福岡会議」で、1997年の約3ヵ月間に、福岡市の各保健所の協力のもとに、4ヵ月健診に来た母親1,308名、および3歳児健診にきた母親1,378名を対象に聞き取り調査をした結果では、99%の母親が「育児は楽しい」と答えている一方、同時に「辛い」と答えた者も25%いました。すなわち、一般集団では母親の4人に1人は育児は“辛いが楽しい”と感じていることがわかります。これらの結果は、一般に育児の負担感ばかり強調されている現在、特に出産前の親に「育児は基本的に楽しいものですよ」と話す際に有用です。
とくに10代母親の育児感情について
福岡市医師会乳幼児保健委員会は福岡市医師会方式による乳幼児健診を行い、そのデータは九州大学医療情報部(部長:野瀬善明教授)のコンピュータに入力されていますが、1987年発足以来、すでに16万例以上の児が登録されています.
このデータベースにより、2003年5月までの15年間に、福岡市医師会方式による乳幼児健診をうけた101,711名の母親の年令別の子育て感情について、九州大学小児科神経グループが分析した(2004)結果では10歳代の母親では、児の生後1ヵ月のとき「育児は楽しい」と答えた母親は85%で、その比率は20歳代以上の他の年令群と比較して最も多かった一方、「育児が心配」と答えた率も10歳代の母親に最も多くみられています。つまり児が生後1ヵ月前後の母親の精神状態が最も不安定になり易い時期では、10歳代の若年母親が「育児は楽しいが心配」という複雑な育児感情がとくに入り混ざっていることが分かります。
また、「育児が心配」と答えた比率は1ヶ月だけでなく、12ヵ月、2歳、5歳の健診時のいずれの時期においても、10歳代の若年母親に多くみられていますが、とくにその3歳児では「育児は楽しい」と答えたのは半数以下であったことは子どもの虐待をおこす危険因子の一つとして、10歳代の若い親が考えられていることと考え合わせて注目に値します。子供の自我の芽生え、そして動きが活発となる3歳児においては、とくに10代の母親に精神的サポートの必要がうかがわれます。同時に、40歳代の高年令母親に「育児は疲れる」率が最も高く、肉体的な疲れがみられることも、育児支援を考える際に考慮すべきことです。
母親の育児感情の年次別推移
「育児は楽しい」と答えた1ヵ月及び4歳児健診時の母親の育児感情について、この17年間における年次別推移について調査した結果は「育児は楽しい」と答えた母親の率は、一般の集団ではこの10年間に実は10%程度、有意に(P<0.001)漸増していることが分かりました。(図)つまり、母親の育児感情は、年々、はっきり改善傾向にあることが分かりました。この傾向は、福岡市保健福祉局が平成15年度の乳幼児健診状況の報告でも全く同様な結果でした。おそらく官民あげての育児支援体制の効果によることも一因と考えられます。一方、「育児は心配」と答えた母親は、この8年間、30%程度で、あまり変化が認められませんでした。
育児不安の発生率
以上の結果から、いわゆる「育児不安の発生率」に関しては、調査時の母集団の性質によってかなり変わりうるので、注意が必要であることがわかります。子育てを「辛い」と答えた母親を、すなわち育児不安とかんがえるべきか疑問ですが、育児不安の定義があいまいである現在、少なくともわが子の育児に対してネガティブな感情と広くとらえれば、大半の母親が育児不安という調査もあります。しかし、公的な乳幼児健診などにおける一般集団では、ほとんどの母親が“育児は疲れるが楽しい”と考えているのは事実で、いわゆる真に支援が必要な育児不安の母親の頻度は、実際には数%にすぎないと考えます。しかし、このグループの母親に対してこそ、早期発見して、いろんな社会資源による暖かいサポートを行うことにより、虐待を予防することが可能になります。(次回は3歳児神話の問題点を中心に、子どもの心と母子の結びつきについて述べます。)


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